無我夢中の20日間、その中でも2週間

サラが急性腎不全になってから、こちらに適宜覚書を記してきましたが
心の整理のために
まとめて書いてみようと思います。

お暇なときに読んでください。

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10月15日 月曜日
麻酔して大丈夫なのかな、こんな同意書っていつもイヤだなーと思いつつ
後にした獣医さんからの帰り道―――電話を受けてからの悪夢の始まり。

5月末に腎臓の数値が悪いと言われたけれど
サラの命がここまで短いとはだれが予想しただろう?

5か月横ばいだった数値がこの日突然跳ね上がり
すでに尿毒症症状が出ていておかしくないラインを超えたBUN数値。

本犬はケロリと食欲も運動意欲も変わりなかった。
いつから高くなっていたのだろうか。

そんな恐ろしい数値なのに本犬の元気さに騙されて
病院のいうまま様子見していた愚かなカイヌシ。
この日、血液検査で数値が悪くとも、病院では何の処方・処置もなかった。
検査結果が出るまでに10日もかかるイオヘキサールクリアランス検査をしただけ。

サラの様子はそれまでと全く変わらず、
でも静かに不安が忍び寄り、検査結果を待ちきれず、
6日後21日にセカンドオピニオン受診。遅すぎ??
この日もサラはほとんど変わらない元気さだった。
セカンドの獣医から指示されたステロイド服薬。
「この数値まできたら生存率は1割」という宣告を受ける。

藁にもすがる思いをよそに、着実にサラの尿毒症状は顕著になってきた。
一喜一憂する間に数値はデッドゾーンへ突入していく。

食べて吐くようになったのは23日、食欲が完全になくなったのが27日。
それまでは吐いていても食べたがった。

日々変わらず私をストーカーしていた。
おうちでトイレをすると必ず褒めてトリーツをあげるので、
「チッチした~」って言いに来て、ちょこんと座ってトリーツを待つ。
数値が悪くなってもそれは変わらなかった。
食べなくなったサラ。
そのときはBUN数値125だもん。当たり前。
28日に初めて皮下注射で水分・糖分補液してもらって、3日目の
30日から4日間は自宅で皮下点滴にトライした。

散歩も出たがって27日土曜日の朝までは行けた。
27日から今日、11月5日まで、とにかくサラを一人にはしないように努めた。

パパの仕事と私の仕事、すり合わせて早退したり、常にサラのそばにいた。
一瞬たりとも症状を見逃さないようにサラの隣で仕事をしたり
抱きながら家事をした。

病気になったことのないサラ
どんなにか自分の中で何かが変わってくる状態に不安だったことか。
「ちょっと待ってて」と傍を離れると、体力がないのに私について来ようとする。

最期の朝まで、寝るときはいつも通り私の布団に入って眠り、クレートでは寝なかった。
気持ちが悪くなる様子があると何時間でも体をさすっていた。
私にできることはそれしかできなかった。

あの日、もしもイオヘキサールクリアランス検査をしなかったら、
こんなに症状は進んでいなかったかも?? 検査が負担だったのでは??
いや、やはり検査をした日が本当にターニングポイントで、それまで進行し続けていた病気、
何とかそれまで抑えられていた防波堤が崩れてしまったのか。

セカンドの病院をハービーの主治医だった先生のところにしなかったのは
あの先生なら絶対入院を勧められていたから、だと今は思う。
入院したら帰ってこない予感があった。
大事な時間を病院に取られたくないと心のどこかで思っていたのかもしれない。
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by herbiehancockjr | 2012-11-06 12:00 | 病院  

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